昨日のブログで、真に価値のあるもの、真に実力のある人は、誇示したり自慢したりする必要はない。また、他者に誇大広告することは、即時的なお金儲けをしたい場合以外にはメリットがないのではないかと書きました。それに引き続いての考察。
(誇大)広告のよくある例に「世界が賞賛」「全米が泣いた」といったキャッチコピーがありますね。
しかし、これは、本当はそうではない場合が99%以上と言って良いと思います。
「全米が泣いた」はハリウッド映画の広告やキャッチコピーに多用されている気がします。
しかし、本当に米国のすべての人が泣いていたら、それは本当にすごすぎる現象だから、「全米が泣いた」と広告を打つ以前にその情報が日本にも届いているでしょう。ニュースではそのことで持ちきりなはずです。
実際は全米が泣いていないのに、売り文句として「全米が泣いた」と書かざるを得ないのでしょう。
同様に、テレビで「すごい」と特集されるものは、特集していなければ「すごい」と認知されないものが多い。
黙っていたら「すごい」と評価はされないから、広告のために「すごい」ものだと特集されるのです。
もっと顕著で明瞭な長所があれば、「全米が泣いた」などという曖昧なキャッチコピーは用いないはずです。
そもそも「全米」とは何を指すんでしょうね。
広辞苑的には「アメリカ合衆国全土」のようです。
ならば、米国の各50州にひとりずつ、計50人が泣いたならば、それも「全米が泣いた」と言えなくもない。この解釈ならば、「全米が泣いた」作品は、本当に全米が泣いているのでしょう。
個人的には「全米の〇%が泣いた」と書いてくれれば、少しは信憑性が増すように思います。
もしそれがたった3%であっても、それはすごいことです。
全米の3%でも1000万人程度になりますし、東京の人口は1400万です。「全米の0.3%が泣いた」でもすごいことです。まあ、今度はそのような統計をどのようにして取るのか、その方法に懐疑的になりそうですが。全米を対象としたアンケート調査かな。
よって、わたしは「世界が賞賛」「全米が泣いた」などというキャッチコピーには非常に懐疑的で、偽物である可能性が高いなあと思います。
そういえば、知人が自主制作映画を製作したようで、映画のポスターやSNS広告に「世界的ダンサー〇〇が主演!」という具合のキャッチコピーを付けていました。
わたしはそのダンサーを知りませんでした。
本当に有名ならば「世界的に有名」などという文言はいらないのではと思ってしまいました。
「世界的テニス選手・フェデラー」「日本のトップアイドル・SMAP(古いかな)」などという表現は見たことがない。あっても、それは説明文としてであって、広告やキャッチのためではない。
まあ、そのダンサーは本当に世界的に有名なのかもしれません。わたしは芸能人に極めて疎いのです(無知すぎて、少しまえに、友達の彼氏に「日本人じゃない」と言われてしまった)。
たしかに、世界で評価されているもので日本では無名なものはあります。
しかし、だからといって「世界的に有名」と称したところで、大衆は「へー、で? 知らないよ」で終わってしまう。購買には繋がらない。
「ノーベル賞受賞」「アカデミー賞ノミネート」などと、権威のある賞にでも認められなければ効果は薄い。しかし、これほどの賞に認められている時点で、本物であるため、そのすごさを広めるために広告や特集は不要です。報道は必要かもしれないけれど。
ついでに言うと、本の帯の「〇〇氏絶賛!」とかいうのも、正直あまり好きではない阿。だって、結局お金を出して書評や後書きを書いてもらっているのだし。お金もらって、悪評は書きづらいだろうし……。インフルエンサー広告がこれと同じ仕組みですね。
でも、そうは言いつつ、尊敬する著名人が絶賛していたらその本を買ったりしちゃいます。うん、結局効果あるのか(ちょろいな)。
わたしの前職は広告代理店の社員。こういうこと考えてしまう。
コメント