アンチコメントをもらって傷つくのは自然

わたしは、他人のYouTube動画にコメントしたことは、ほぼありません。知り合いが投稿したビデオにちょっとしたコメントをつける、くらいはしたことはありますが、そのくらい。人生で3回くらい?それも、一言添える程度の40字以下のコメントです。

しかし、YouTubeに400字詰め原稿用紙いっぱいより長い作文コメントをたくさんいただきます。そして、コメントが長ければ長いほど、反対意見が多い。そして、感情的なものが圧倒的に多い。

おそらく、10分以上かけてコメントしていると思います。そして、前々回くらいのブログで言及したように、わたしの動画を最初から最後まで見ていないと考えられるコメントが圧倒的に多いです。最後まで見たら、そのような論理は導かれないでしょう、というものが多い。前提が間違っている場合、論理は機能しないので。

わたしは「理性的」の対義語が「感情的」という国語の教科書の記述には疑問を持っています。感情を考慮したり、感情を持った状態で、理性的であることは可能だと思うし、感情をすっぱり切り離した論理は理性的ではないのではないかと思うからです。感情的な人が、かならずしも理性がないとも限らない。

わたしは非常にエモーショナルな性格ですが、かなり理性を重視する人間だと思います。そして、感情的になっているときは、理性的な自分が脳裏で「感情的になっているな」とひとりごとを言っています。

なので、感情的なのは悪いことではないと思います。しかし、単純に、なぜコメントをするのかが気になります。

読んでほしいのか、同意してほしいのか、返信してほしいのか、暇なのか。わたしに傷ついてほしいのか。

わたしはエモーショナルな人間なので、「アンチコメントもらっても傷つかないぞ」というスタンスで読まなければ傷つきます。

面と向かってではないにせよ、暴言を吐かれて何も感じないような人間ではない。そして、暴言を吐かれても傷つかないような人間になりたいとも思わない。

暴言を吐かれて、傷つくのは、ヒト(あえてカタカナ)として当然のことです。哺乳類は進化の過程で「感情」を得る方向に自然選択がなされましたが、それは「つらい」と思ったり「怖い」と思うことが、危機管理、危険回避に繋がったからです。なので、傷つくことは、自然の摂理、自分が正常な証です。

こういう考えなので、もし暴言を吐かれても傷つかないと言うヒトがいたら、強がっているか、精神的に少し異なる形で進化した人たちなのかもしれないなと思います。サイコパスが生存戦略として適する場合もあるようなので、似たような感じなのかなと。

なので、YouTubeのコメントを読むときは、アンチコメントがある前提でコメントをチェックしているので、傷つきません。なので、逆に嬉しいコメントをもらったら、嬉しさが倍増する。

いかにも不味そうなレストランが美味しかったら嬉しくなるのと同じですね。

そして、アンチコメントを書く人こそ損をしていると思います。自分の大切な時間、つまり自分の人生の一部をアンチコメントを書く時間に費やして無駄にしているのだから。

自転車と馬は通行OK。イギリスっぽい標識ですね。

コメント

  1. ブログ拝見しました。私のコメント、不快な事あれば、今謝罪します。
    最近、りなさんの動画やブログにはまり、欧米生活の昔を思い、たくさんコメントしてしまいました。ご迷惑ならば、もう書きません。私は決して、りなさんを傷つける意図はありませんが、読むの迷惑なら、お教えください。コメントは辞めます。ただブログや動画は引き続き拝見させてくださいね。ブログありがとうございました。