日本語が母国語の日本人同士こそ会話ができない

「わたしの意見を尊重してほしいんですけど」
最近知り合った日本人の同年代の方にこう言われました。

彼女はワーキングホリデー(YMS)でイギリスに来ていますが、日本が大好きで、海外に長く滞在するつもりはないようで、日本の社会問題や政治、経済に関しても楽観的でした。

そこで、わたしの意見を軽く述べて、見解を尋ねてみたところ、答えてはくれず、代わりに「わたしの意見を尊重して」と言われました。

彼女が楽観的な一方で、わたしは日本の現状、そして未来に対して概して悲観的なので、つまり彼女に対しての反論ということになります。そして、反論されたことで彼女は「傷ついた」とも言い、それから「議論が好きではない」とも言って会話を終了させました。

この出来事には少々考えさせられました。

わたしはアグレッシブに彼女を論破しようとしていたわけではないし、友達とお茶をしながら話すときと同じようなカジュアルな感じで話していましたが、彼女は「傷ついた」とのこと。

こういう人は、自分と反対の意見に耳を傾けることはないのではないか。反対意見に触れずに、どのようにして自分の意見を評価するのだろうと思いました。

例えば、彼女は「日本が大好き」とのことでしたが、他にもっと大好きになるかもしれないものがあるかもしれないのに、他を知らずして、どうしてそもそも「日本が大好き」と評価できるのか。和食が好きと認識するためには、中華やイタリアンやフレンチを食べる必要があるのではないか。日本の悲観論を聞かずして、本当の意味で楽観的であることができるのか。

他人を傷つけるのはわたしの趣味ではないので、次に彼女に会うことがあっても、もう彼女に対してわたしは自分の考えを話しません。彼女に話しかけて、彼女からの答えに沈黙して、それを同意と捉えられるのも良くないと思うので、もう会話することすら難しいのではないかと思います。

「意見を尊重してほしい」と言われたとき、わたしは彼女に、「もちろん他人の意見は尊重するけれど、それは同意をしているわけではない」と返しました。

「尊重」という言葉の定義は、広辞苑によると「とうといものとして重んずること。」らしいので、言葉の本来の意味からはかなり離れてしまっていますが。

自分とは異なる考えを持っている人の存在を受け入れる、という意味で「尊重」という言葉を使いました。自分と異なる意見を持っている人がいていいし、それが多様性の価値だし、彼らの意見も喜んで聞いて「尊重」するけれど、それは同意とはかぎらないと。

わたしは人と話すとき、自分の考えを話しますし、相手の意見も聞きます。意見が合うこともあるし、意見が異なることもある。

自分の考えより、相手の考えの方が全うだと思えば、相手に同意し、意見を変えることもあります。こういうことは滅多にないけれど、あったときは、人との会話(ないし議論)の有意義さを感じます。

ロンドンではいまのところ2回、自分の考えを変えるような会話がありました。こういう経験が人生の醍醐味だと思っています。

わたしは東京でもロンドンでもディープな話をするコミュニティ、人間関係には恵まれているようです。クオリティの高い議論ができる人が周りにたくさんいます。というか、類は友を呼ぶ類の現象が発動しているのだと思います。

でも、今回は、反対意見に触れる機会——つまり「議論」を忌避する人がいるのだと気づかされました。

そもそも、日本人は議論が好きではないとか、自分の意見を述べるのが苦手だとかいわれることが多いので、もしかしたら彼女のような人の方がマジョリティかもしれない。

この「意見を述べない」「議論を嫌う」日本文化は、わたしが好きではない日本の文化です。仕事では会議で腹の内の探り合いに長い時間が費やされるし、正直さよりも建前が美徳だとされるようなケースがたくさん見られます。

和を以て貴しとなすことや、建前で他人との人間関係を良好に保つことは、時と場合によっては有効だし、優れたコミュニケーション手段ですが、負の側面もたくさんあります。負の部分のほうが多い。

日本語が母国語の日本人同士こそ、腹を割った会話ができないことが少なくないのではないでしょうか。

イギリス人はディスカッションが大好きです。建前(sugarcoating)より正直さのほうが好ましいとされる場合が多いです。わたしはこちらのほうが好み。

仲良くなったイギリス人に「いい加減、sugarcoatingやめて、正直に話せば?」と言われたこともあります。うーん。まだまだなのか。

下の世界各国の問題解決に対する国民性を風刺した画像(meme)が面白いと思いました。

International guide to problem solving

ドイツ人は問題を即解決。
ロシアでは逮捕して解決。
アイルランド人はビールを飲んで問題そのものを忘れてしまう。
フランスでは騒動が起きて、さらに問題を大きくしてしまう。

日本人は——。

まあ、この画像はジョークなのですが、「なるほど」とにやりとしてしまいました。
イギリスで、お茶飲んで問題解決しているわけではない気もしますけど。

天気が良いので、イギリス人は平日19時くらいに公園でピクニックしています。

コメント

  1. ブログ拝見。そうですね。日本人には、まともに議論しても、逆恨みされる事多々あるので、注意が必要ですね。まず腹を割って話せる人か、見極めが必要です。りなさんは話せる人だと思い、私はコメントしております。率直なブログありがとうございます。引き続き興味深く、拝見します。宜しくお願いします。