昨日大学の話を少ししたので、続きを書きます。
イギリスには名門大学が数多くありますが、これらの大学の質は留学生が高めている側面があるように観察されます。
名門大学出身のイギリス人と話しても、大学ランキング的には随分下の東大卒や京大卒の人たちと比べたら、非常に理知的でない印象を持つことが多いので、「うーん」と何度も唸っていました。もちろん、中には「この人はすごい!」と思う人もいますが。
わたしの主観的見解としては(というかこの手の見解は主観的にしかなり得ない)、以下のとおり。
イギリスの人口は日本の約半分。そして、イギリスの大学数は約100校、日本は800校です。人口当たりの賢い個体の出現割合が人類において一定だと仮定すると、日本は母数が多いので、賢い人が数の上で多くなります。そして、偏差値という日本独自の明確なランキングシステムと、これまた日本独自の入学試験というフィルター、さらには新卒採用というまたまた日本独自のシステム(くどい!)によって、「賢い」人が一部の大学に非常に偏ってしまうという現象が起きるのではないかと思うのです。
イギリスの大学には、日本のような筆記試験はありませんし、ランキングもそのランキングを発表する機関によって順位が異なります。大学数も少なめであるため、地元の大学も、とあるランキングでは上位だったりするわけで、わざわざロンドンやその近郊の街にはるばる学問を修めにいこうという動機を抑制するのでしょう。
また、大学院進学でも就職でも、名門校で下位の成績を取るよりは、そうでない大学で上位の成績を取った方が評価されます。大学院の合否は、大学の成績と志望動機書という名のエッセイで決まるので。エッセイは個人の能力と言うより、文章力が問われるだけなので、もう大学の成績が(ほぼ)すべてと言って良い。
就職においては、新卒採用において大学名が最も評価される日本と比べ、ポテンシャル一括採用が一般的ではないイギリスでは大学で何を学んだかにより重点が置かれます。
インペリアルで物理学を学んだ人が、新卒でエンジニアになりたいと思ったが、分野が異なるためロンドンでは仕事が見つからず、北アイルランドまで行ったと言っていました。しかも最低賃金に近い給料だったようです。
インペリアルの物理学でそうなので、おそらくオックスフォードでも文学専攻だったら、エンジニアとしては採用されないのではないでしょうか。エンジニアになりたいのならば、わざわざインペリアルやオックスブリッジの分野外の学部に入学するのではなく、地元の大学の工学部に入る。一方、日本では東大を出ていたら、どの学部であろうが、とりあえずエンジニアとしての職は見つかると思います。特に新卒採用では。
このような理由から、イギリスの大学においては、優秀な学生が名門校だけに集まりにくいと考えられます。優秀な学生が一部にのみ集まらないため、それぞれの大学には非常に優秀な学生が一定数いて、その人たちがしっかりと学問を修めて、評価される論文を出せば、大学も評価されます。そして、そこで学びたい優秀な留学生が集まってきて、たくさん学費を払うから大学の財源も潤い、施設も充実し、さらによりよい研究が行われるようになり、イギリスには世界で評価される大学がたくさん生じた。どうでしょう、名推理?
日本とは非常に異なる大学のシステムですね。まず、留学生が少ない。少なすぎる。つまり、日本の大学は留学生をアトラクトしていないということです。学費は安いのですが、特に留学生は。わたしも、日本では院にはいきたくないと思いました。
また、日本では筆記試験を上手くこなせた人が合格するシステムなので、集団の能力が一様となって、多様性が失われてしまいます。
これは、AO入試、指定校推薦なんていう制度で緩和されてはいます。早稲田なんて、指定校推薦や内部進学で入学する人がたくさんいて、高校時代は偏差値が40だったという人もいました。これはいいことだと思います。多様性が生まれ、学問には多様性が必要です。
学生の頃は、指定校推薦や内部進学をした人に対して、「入試を受けなくてよかったのだからずるいなあ」なんて思っていましたが、考えを改めました。内部進学はともかく、AO入試や指定校推薦で入学する人には一般入試で合格した人とは異なる能力がありました。
また、試験で良い点をとれることは「試験が上手くこなせること」を証明しているだけで、頭の良さや発想力が秀でていることには繋がりません。IQテストも同様で、IQテストで高得点を出せることは、IQテストを上手くこなせるだけで、知能が高いわけではありません(とイギリスの遺伝学者が言っていました)。以下に引用を掲載しておきます。
知能とその遺伝は複雑な事柄で、その世界を深く探究するためには、丸々一冊の本が必要になるだろう。IQは、幅広い認知能力のうちの一側面の尺度であり、つねにとかくの批判にさらされてきた。しばしば、IQは、IQテストでいかにうまくやれるかの尺度にすぎないと言われる。これは、一〇〇メートル競走は、あなたが一〇〇メートルの区間をできるだけ速く走れる能力をテストしているだけだというのと同じで、もっともらしく聞こえる。とはいえ、知能の研究をめぐるその後の論争にかかわりなく、IQはいまでもたぶん、認知能力のもっともよく研究された側面であり、しかもそれは、少なくとも科学者にはなんらかの価値がある。
アダム・ラザフォード『ゲノムが語る人類全史』
好きなサイエンスライターです。日本訳も良い。5年くらい前に最初は日本語で読みました。この翻訳者はドーキンスの本も訳していますが、信頼して日本語訳を読めます。
そうそう、最近、イギリスでくもんを見かけたので、写真を貼っておきます。日本人はほとんど住んでいないエリアで、ロンドン中心地でもありません。「くもん」って公文? クモン? Kumon? どの表記が正しいのだろう?
コメント
ブログ拝見しました。りなさんはいつも何か考えている方ですね。理知的なりなさんに好感感じます。IQテストは確かに知能の一側面を測るものに過ぎないと思います。人間の個性に基づく創造性などは測定できないと思います。私は人間の本質的価値は、個性と創造性にあると思うので、画一的な試験には、懐疑的です。その点、日本の受験システムは片手落ちだと思いますね。より個人の本質を測るシステムがあれば良いと思います。そうですね、りなさんの思考いつも楽しんでいます。りなさんの個性、どの様な方なのか?大変興味深いです。と言うことで、今回もありがとうございました。また引き続き、ブログ拝見いたします。今後とも宜しくお願いしますね。ごきげんよう。