今朝、『ドグラ・マグラ』の上巻を読み終えました。この小説は、上巻だけで原稿用紙500枚以上あるのではないでしょうか。読むのにかなり時間がかかりました。昔の作品ということもありますが、文字が読めても理解が追いつかない。
そもそも、本当に特徴ある文章ですね。チャカポコが1000回くらい繰り返されている。こんな感じ。
あ――ア。サテモ恐ろしキチガイ地獄じゃ。なれどここらはまだ小手調べじゃ。キチガイ地獄の三途の川だよ。聞いたばかりで身の毛がザワ付く。八万地獄は愚かな事だよ。阿呆メチャクチャ出鱈目放題。あらん限りの虐待つづける。この世からなる精神病者の。地獄ゥ――めぐりィ――はァ――サテこれェ――かァ――ら――じゃァ――い……スカラカ、チャカポコ。スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
夢野久作『ドグラ・マグラ 上』
森博嗣が「この作品は、日本のミステリィのナンバ1です。つまり、満点の作品です。」と書いていて、「とても感動しました」とのことなので、読むことにしました。が、もう混乱、混乱。スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……。
中巻と下巻も購入済みなので読みますが(というか著作権切れているので青空文庫で読める、知らなかったので購入したというわけ)、歴史的に残るような傑作というのは、得てして長い。『罪と罰』とか。
大学生の時、『罪と罰』の内容に関して発表しないといけなくなって、でも未読で、でもそんな長い小説を1週間かそこらで読むことなど不可能で、それでも発表したとき、先生に「読んだの?」って言われて「漫画版を読みました」と言ったら、先生にがっかりされてしまいました。読む価値があるようです。読みたい本がたくさんだあ。チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……。
一方、大学生の時、仲の良い友人が「頭が悪い人は話が長い」と言っていて、その理由がまあまあ的を射ていました。頭が悪い人は、話の要点をしっかりと説明できなくて、話の流れを整理して伝えることもできない、だから話が長くなる云々。
そのため、長いものしか書けないわたしも頭が悪いのかも、話は短く、記事も短くしよう、と思ったことがありました。が、無理でした。そして、長くてもいいのではないかと思うようになりました。
会話におけるコミュニケーションと、文章で深淵なことを論じるコミュニケーションでは、話が異なると思います。会話は双方向性があるし。実際、話し言葉でもスピーチはながい。英語圏の演説のようなタイプのスピーチは20分くらいのものが多いけれど、長いとは感じない。要点を効果的に伝えるのにはその長さが必要です。一方、日本語圏の9割の全校朝会や開会式のスピーチは5分で退屈に感じるものが多い。
傑作は長い。哲学書も長い。本当に重要なことは複雑で理解が難しい。簡単なものが求められている時代だけれど。
500枚規定のある新人賞が小説家への登竜門である日本の出版界においては、処女作で歴史に残る傑作を発表することは不可能ということですね。
短編小説で素晴らしいと思うのは『山月記』くらいです。短編小説も面白いけれど、それはジャンルとしてミステリーやオチがある話ばかりで、傑作かというとちょっと違う。短編を書くミステリー作家も代表作は長編です。
コメント
りなさん、相変わらず、悩みますね!傑作は長いは一理あるかもですね。私は学生時代、サマセット・モームにチャレンジしました。漱石のロンドン留学中の師、漱石が小説の文体を学んだ対象だと思ったからでした。サマセット・モームは長い小説で、イギリスで傑作とされていますが、長過ぎて、概要のみ飛ばし読みし、精読はしませんでしたね。確かに漱石という天才は小説という文体をモームから学んで、日本に小説という文体を移入したと確認し、読了しました。確かに人間模様を細密描写すると作風長くなりますね!不滅の名作が長くなる所以だと思います。以上が私の見解です。りなさんにご理解頂ければ幸いです。興味深くブログ拝見しました。ご苦労様でした。引き続きブログ拝見いたします。ごきげんよう。
ブログ再度拝見しました。傑作は長い、と思いますが、短編傑作もあると思います。すぐに思い出せませんが。私はあまり小説読みませんので、悪しからず。ところで、テニスブログの後、ブログでないですね?
続報待ってますね。よろしくおねがいしますね。
最近のブログは拝見しても、コメント書けませんね!私がコメント書き過ぎたのがいけなかったのでしょうか?りなさんの名文読むと意見したくなり、つい書き過ぎました。申し訳ございませんでした。ご迷惑かけますが、引き続き、ブログ拝見します。
ごきげんよう。