過去に好きだった小説を読み返す日々ですが、小中学生の頃にはまっていた作品を読むと、面白くないなと思ってしまいます。子供の頃に楽しんだことは大人になっても楽しめると思いますが、その対象や難易度が異なってしまう場合が多いのではないでしょうか。
例えば、子供の頃からテニスが好きだけれど、子供レベルのテニスでは満足できなくなる、ずっとゲームが好きだけど、大人になったらより難しいゲームが好きになる、とか。歌は好きだけど、子供の時に好きだったジャンルの歌とは違う、とか。
映画もそうです。子供の時に好きだった映画の大部分の作品を、わたしは冷めた目で見るようになってしまっています。
非科学的でもいいとは思っています。現実世界を舞台にしたミステリーで、不可能なトリック(犯人が屋根を飛んで移動するとか)とかがとかが出てくると不可ですが、その他は大概OK。未確認飛行物体が出てきてもいいし、エイリアンが出てきてもいいし、歴史映画が史実と異なっていてもOK。だれも歴史を再現できないし、歴史の解釈は歴史家と時代によって異なるものだし。喋るサルが出てきても問題なし。犬でも、豚でも、三葉虫でも。フィクションかつエンタテインメントなので、面白ければオッケイ。大衆映画に事実や学習や哲学を求めてはいません。
非科学的なのはよいのだけれど、ご都合主義が好きになれなくなっているようです。
映画や小説にドラゴンが登場してもいいけど、主人公が何の努力もなしにそれに乗れたり、操れたりするのはNG。主人公のピンチにどこからともなくドラゴンが助けに来るのもNG。ドラゴンがいつも近くにいて助けてくれるならば、主人公がピンチになる前に助けてくれるでしょう。主人公がを偶然助けたのが、偉い人だった、とかいう設定もしらけてしまう。そんなこと滅多にないでしょう。「選ばれし者」なんて場合でも、だれにどのような理由で選ばれたのかが合理的でない場合はNG。だから、わたしは大半の小説や映画が楽しめなくなっています。
ここに前提と論理の区別があるように思います。「非科学的」という前提のもとで論理的、合理的ならば、フィクションが楽しめるけれど、論理的、合理的でない場合はNGです。論理的でなかったり、矛盾があっても、1,2回ならば「偶然」として処理できますが、何回も続くと面白いと思えなくなってしまう。
前提が間違っている場合、論理的に正しくても、導かれるものに普遍性がなくなっていまいます。つまり、論理的である意味がなくなってしまう。論理は前提に依存しているともいえます。
でも、フィクションでは「虚構である」という前提に基づいているので、合理的だったならば楽しめます(少なくともその可能性はあります)。
英語で読んで気に入った小説を、日本語訳でも読んだりもしています。そして、これも気に入らないことが多い。この主な理由は、英語で楽しく読めても、日本語では機能しないということです。
わたしは英語の詩が好きなのですが、どうしても何かを損なわずして日本語には訳せない。英語を母国語とする小説家は、詩的な表現を使います。同様に、こういった表現を日本語に翻訳すると全く訳の分からないことになってしまう。感動もなにもなくなってしまう。
これは小説だけではなく、科学の本とか参考書も同じです。翻訳家が卓越して素晴らしい場合を除いて、英語で読んだ方が早いしわかりやすいと思うことが多い。
また、逆も然りですね。日本語の詩はあまり好きではありませんが、(平安時代くらいまでの)短歌は好きです。そして、短歌こそ英語にすると全く機能しなくなります。ちなみに、本ブログの名前の「さしも草」も好きな短歌からの引用です。
少数民族の言語が死語になってしまっていることが問題とされることがありますが、言語の特性は芸術に直結しています。美術におけるの「水彩絵の具」「油絵の具」「墨」「粘土」にあたるところが、文学においては「英語」「日本語」「アイヌ語」「ラテン語」というわけです。
言語の多様性が失われると文学は確実に衰退する。度量衡は統一するべきだけど、言語は統一するべきではないのかもしれません。
コメント
ブログ拝見しました。成長と共に、興味は変遷しますね!でもそれは普遍的な事だと思います。特に変わったことではないと思います。ブログ興味深く拝見しました。お願いですが、前回のブログでの24になる回答開示宜しくお願い申し上げます。ブログありがとうございます。ごきげんよう。
ブログ拝見しました。私の大学時代のゼミナールの教官は元ハーバードビジネススクールの日本人唯一の正教授でした。教官がビジネスの成功者の共通点を調べた処、一つだけ共通点があったそうです。それは、成功するまで、諦めずに続けたと言う点でした。もちろん、りなさんのgive upの趣旨も良くわかります。一方で教官の趣旨もわかります。年齢を重ねると、色々な事が理解できますね。複雑な事が分かるようになった、と思います。ブログ興味深く、拝見しました。ごきげんよう。ちなみに、私がロンドン駐在中、教官は、BBCにも出演してました。また現上皇陛下にも宮殿内で講義もされていました。ブログありがとうございました。
りなさんに一言、give upはしないで、一途に小説家デビューして下さいませ。苦難は想定内とし、要は不退転の決意で、日々、精進ください!後は振り返らず、チャレンジすることです。色々な道のドアを叩きつづけることです。失望を乗り越え、前だけを見て、前進下さいませ。乗り越えるトンネルは以外と短いかも知れませんね!りなさんの英語力には感服しました。その才能はどの様に磨かれたのか?いつか、ご教授ください。ごきげんよう。
ブログ拝見しました。りなさんの英語は詩的なのが、驚きです。私は、アメリカ、ドイツ、イギリスで、色々な日本人と会い、英語力も観察し、自分より、英語力あるのは、自分のゼミナールの教官だけでしたが、りなさんの詩的言語力はさすがです。もしかして、りなさんは、英米人の血筋が有るのですか?日本だけで高い英語力を身につけた方は、りなさん以外知りませんね。あら捜しでしたら、お許し下さい。それだけ、りなさんは私には、不思議な方なのです。引き続きブログ拝見させて下さいませ。ありがとうございました。ごきげんよう。