
今日は、まずジャパン・マツリに行きました。非常に人が多かった。このイベントではバイトをしていたのですが、バイトが終わるとすぐに人混みから退散。
それから、Googleでエンジニアとして働くD氏とお茶をしました。Chat GPTのニューモデルがすごいという話になり、ジュニアレベルのエンジニアは消滅する、すでにLLMはPhdレベルのエンジニアないし数学者に相当している、大企業のシニアエンジニアのレベルならばしばらくは生き残れるかも、という話をしました。
ライターは完全になくなりますね。あと、2年もすれば、ほぼ職業が消滅するか、職業としては残っていても生計を立てられるレベルでは稼げなくなっているかも。GPTのニューモデルを試してみましたが、素晴らしかった。
まず、GPTにYouTubeで語った内容をビジネス風の記事風に推敲してもらいました。15分くらいでリライトが完了。早い。ここから読めます。
YouTubeで話している内容は、エッセイというか考えというか、思いをつらつらと語っているスタイルです。文章としてまとまっていません。あちこちに思考が転移するし。動画としては完成しているかもしれないけれど、文章としては読めたものではない。正直、論理的飛躍や無駄がたくさんあると自覚しています。でも、動画だから合理的に詰めるのはよろしくない(と主観的に考えている)。
そんな不格好な文章が、一瞬でそれなりのクオリティの記事に変身しました。
それから、その記事を英語に訳してもらい、さらにナチュラルな表現にしてもらいました。英語は日本語と比べたら苦手なので、とりあえず一通り読んで、マイナーミステイクや、日本語特有の表現で英語として成立していない箇所などを修正。こちらは10分くらいで完了。

5年前くらいなら、この2つの作業をするのに20時間はかかっていました。1年前ならば、AIを使用しても各1時間はかかっていた。
もうライターはいらなくなりました。少なくとも「書く人」はいらなくなった。哲学者や経済学者のような「考える人」は残ると思うし、考える人は「書く人」または「発信する人」なので、彼らはある種の書き手として存在し続けると思うけれど、「書くこと」を仕事にする労働者はすでに不要でしょう。
ちょっと、恐ろしいくらいの革新そして変革の波ですね。わたしみたいな素人の主観的見解ならばともかく、Googleで働くようなその道のプロが「すごい」と言っているので、これは相当なものだと思います。
彼と、もし「今から大学で勉強し始めるとしたら、何の分野を専攻するか」という問いを考えました。結論「わからない」。
まず、文学部は、趣味で学びたいか、ロマンを追求するような研究者にでもなりたいのではないかぎり、絶対にやめたほうがいい。大学での学びを就活に生かしたいのであれば、人文系の学部は入らない方がいい(これを高校生の自分に言えるならば、どんなに良かったか)。
そして、彼も(お茶しながら考えた程度では)未来において必要とされていると確信を持てるような分野がないということです。彼はロンドンにある絶対的にトップの大学で物理学を専攻していますが、今大学生を始めるならば、工学、少なくともプログラミングは学ばないと言っています。
そんな世も末の会話の中(といっても楽しくおしゃべりしたのだけれど)、ひとつこの先10年はなくならないだろうという仕事として上がったのが、ユーチューバー。これは、人が主体だから。
AIのアンドロイドのユーチューバーが登場するかもしれないし、知識を得る場としては、AIによって運営されたYouTubeチャンネルのほうが優れているかもしれません。小説や映画ならばAIが製作したものの方が優秀だと思います。フィクションの世界やその登場人物は完全に虚構なので、人が作家だろうが、AIがディレクターだろうがどちらでもいい。AIは人を笑わせたり、感動させたりする「術」も心得ているので、例えば、メッセージにユーモアのある返信をしたいときとかに、返信内容の案とか書かせると素晴らしいものを提案してくれます。
でも結局、YouTubeを見る人は、人を見たい、人を楽しみたい、人の考えに触れたい、という欲求があると思います。「この人」の考えに触れたい、「この人」の個性に触れたい、という「この人」が主題として求められているような分野でのみ、芸術が生き残っていくのではと思います。そう、完璧ではないことや無駄であることが、個性だったり芸術だったり文化だったりしますからね。