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近況報告

動画を削除するかも

もういい加減、新しいYouTube動画を投稿したいなと思っているのですが、完璧主義なところが出てしまって、編集が終わりません。「さあ、できたぞ」と思っても、それを観てみると、修正したいところがあるし、それを修正したことで、他の場所も修正したくなる。 ここ最近、ユーチューバーを分析しているのですが、2、3日に1回投稿する人と、1週間から1月に1回程度しか投稿しない人に大別できる気がします。 投稿頻度が多い場合(頻度派)は、編集は簡素で、話している内容もプロットや構成を練ったものではないものが多いです。ただ、トーク力や人柄で人気を得ているよう。ユーチューバーその人がコンテンツと言っても良いでしょう。ファンがついているという印象です。 投稿頻度が少ないユーチューバーは、地上波で流されてもいいくらい、じっくりと作り込んだ動画を投稿しています(クオリティ派)。まあ、これは当然ですね。クオリティの高い動画を頻発投稿できるわけがないので。この場合、動画そのものの内容がよかったり、映像が美しかったりします。もちろん、人物も魅力的なのですが、その人のファンでなくても楽しめる動画です。 また、投稿頻度が少...
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AIでこんなにすごい動画が作れる時代

今日はYouTube動画を編集しています。 わたしの動画は、エッセイを読み上げて、それに動画をのせる形で作成しています。なので、文章が先にあり、その後に動画です。動画を作成するにあたり動画や音楽を見つけてくるのが大変です。著作権侵害はしない方針なので、すべて有料のビデオストックから見つけてきています。 でも、今回はビデオストックでも使える動画を探すのが大変。進化的観点から論じている箇所があるので、初期の人類の動画とかが必要で、こういう動画は探しても見つかりません。 そこで、AIの力を借りることにしました。これまでにも遊びでAIで動画を作ったことがありますが、YouTubeで使用するために、AI動画を生成するのは初めてです。以下がその結果。 すごいですね。かなりリアルです。使用したのは、2023年3月にRunway社が発表したGen-2。作りたい動画の内容をテキストで入力するだけで動画を生成できるます。 わたしが入力したプロンプトは「Early humans gather around a fire for warmth in the African savanna.」これだけ。単純です...
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面倒くさいことをあえて行うことには利点がある

長い目で見れば、今、面倒くさいことをしておいたほうが良いことはたくさんあります。目先の利益に囚われるな、ってやつですね。 わたしは、YouTube投稿を本格的にはじめようと思ったときに、AdobeのPremiere Proを使うことにしました。プロも使っている、高額のサブスクリプションが必要な動画編集ソフトです。 動画編集ソフトの最高峰なので、機能は多いし、できることが多いのですが、その分、使いこなすのが難しい。 学生の頃から動画編集は少しかじっていて、FilmoraやFinal Cutを使ったこともありました。Final Cutはわたしには合いませんでしたが(使いこなせなかっただけ説はある)、FilmoraはUIが優れているし、ググらなくても直感で動画編集ができるし、なによりも簡単、楽。 YouTubeの動画編集くらいならば、Filmoraで全く問題ありません。しかも、買い切りで安い。 それでも、わたしはPremiere Proを使うことにしました。 これは、今後、定期的にYouTube動画を作成することを考えると、毎週、それなりの時間を動画編集にあてることになります。そこで、Pre...
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アンチコメントをもらって傷つくのは自然

わたしは、他人のYouTube動画にコメントしたことは、ほぼありません。知り合いが投稿したビデオにちょっとしたコメントをつける、くらいはしたことはありますが、そのくらい。人生で3回くらい?それも、一言添える程度の40字以下のコメントです。 しかし、YouTubeに400字詰め原稿用紙いっぱいより長い作文コメントをたくさんいただきます。そして、コメントが長ければ長いほど、反対意見が多い。そして、感情的なものが圧倒的に多い。 おそらく、10分以上かけてコメントしていると思います。そして、前々回くらいのブログで言及したように、わたしの動画を最初から最後まで見ていないと考えられるコメントが圧倒的に多いです。最後まで見たら、そのような論理は導かれないでしょう、というものが多い。前提が間違っている場合、論理は機能しないので。 わたしは「理性的」の対義語が「感情的」という国語の教科書の記述には疑問を持っています。感情を考慮したり、感情を持った状態で、理性的であることは可能だと思うし、感情をすっぱり切り離した論理は理性的ではないのではないかと思うからです。感情的な人が、かならずしも理性がないとも限らな...