ライターはAIに取って代わられます

最近はAIについてリサーチしたり、本を読んだりしていました。

AI技術の進歩は目覚ましいものがあり、私はその進化には肯定的です。AIによって、私たちが日々行っている労働から解放され、もっとクリエイティブで意義のある活動に集中できる日が来るかもしれません。それはまるで、人間が遊んで暮らせるような未来が訪れるかのような希望を持たせてくれます。

しかし、このような未来が実現するためには、大きな社会的な変化が必要です。たとえば、AIによる労働の自動化が進めば、政府やそれに準じる機関がベーシックインカムのような制度を導入することになるでしょう。これは、全ての市民が基本的な生活を送れるようにするための一歩と言えますが、同時にこれらの機関が持つ権力の悪用が懸念されます。

私たちが望む未来は、AIが人間を幸せにするための「希望」であるべきです。そのためには、政府や権力を持つ組織が「善」であり、信頼できるものでなければなりません。しかし、歴史を振り返れば、権力が腐敗することは珍しくありません。そのため、このような未来を実現するためには、私たち自身がより良い社会制度の構築に積極的に関わる必要があるのかもしれません。

私自身、AIに関するリサーチや本を読む中で、今後のキャリアについて多くの懸念を抱いています。しかし、これらの技術の進歩を否定するのではなく、どのようにこれらの変化に適応し、利用していくかが重要です。私たちが目指すべきは、AIと共存し、それを使ってより豊かで充実した生活を実現することです。


以上、ChatGPTに書かせてみた文章をコピペしました。GPT-4です。月額20ドルの使用料でこれくらいはもう書けちゃいます。

以下は、わたしが自分の頭で考えて書いています。

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ここ半年、ロンドンに住みはじめて、いろいろ忙しかったので、世界の情勢のキャッチアップをしていなかったんですよね。

最近、共同設立者のひとりにイーロン・マスクが名を連ねるニューラリンクという会社が、体が動かせない病気(ALS)の患者の脳にチップを埋め込む臨床試験を行うと知りました。これによって、患者は念じるだけでコンピュータ(たとえばスマホやロボット)を動かせるようになります。

これを知って、いろいろ情報収集したり、本を読んだりしている毎日です。AI分野の発展はすさまじく、わたしがアブセントだった半年の間に、もうすごいところまで進んでいるように感じます。近未来にタイムリープした気分です。

ニューラリンクの手術も先週行われ、無事成功したようです。ALSのような難病の患者さんが意思疎通できるようになる、ロボットを介して「体を動かせる」ようになるのは本当にすごいことだと思います。

「AIと人間の融合、まさに攻殻機動隊の世界だあ(未視聴ですが)」なんて思っているのですが、ライターはなくなりますね。たぶん、小説家もなくなると思います。AIは「クリエイティブ」なこともできます。ただ、人そのものにファンがつく、アイドル化・芸能人化できた作家は生き残るかもしれません。

GPT-4で生成した文章は、まだ日本語では少し違和感がありますが(というか、わたしのライティングスタイルではない。文法的には正しいです)、英語ではもう完璧。ネイティブに見てもらっても完璧なようです。ビジネスライクに書いて、とか、シェークスピア風に書いて、とかもほぼ完璧。日本語が英語のように完璧になるのも時間の問題ですね。

ちなみに、プロンプトは以下。

まあ、これだけプロンプトに情報入力しているから、上記の文章が生成されてもおかしくないのだろうけれども。

わたしは大学院進学を延期させていたのですが、本当によかったと思っています。もし復学するとしたら、分野を変えようと思っているところです。進学予定だったコースは、数年後には不要になる分野だと思えるからです。円安になって悲嘆に暮れていましたが不幸中の幸い(はーと)。

ここ数年で社会に大改革が起こると思います。というか、AI革命的なものはすでに起こっていて、すでにその初期に生きているのだと思います。産業革命が始まった日が「〇〇〇〇年〇月〇日」なんていうわけではないのと同じで、変化は常に進行していて、後から「ああ、あれが社会変革だったのだな」「あの時代が革命期だったわけか」と認識されるのが歴史の常です。

高度経済成長の真っ只中を生きていた人たちが、「ああ、今、我々は高度経済成長という歴史的時代の真っ只中にいるんだな」と思いながら生きていたわけでもないと思います(たぶん)。特に、高度経済成長の初期には、そのような社会的変革の波を薄らと感じるくらいしかできなかったはずです。

現在を生きているわたしたちは、その時点が近未来にどのような役割・影響を与えているのかは計り知ることはできません。歴史というものは、後世の人々の後の解釈です。

ありがちな引用をしておきます。

歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです。

History is an unending dialogue between the present and the past.

E. H. カー
Lina (ライター)
早稲田大学卒業後、新卒でフリーランスライターとして活動をはじめる。現在はライター業に専念しつつ、ブログやYouTubeでも情報を発信中。 ロンドン在住、鹿児島出身。趣味はテニスと史跡巡り。

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